私が過去に年間数万人というエントリーを頂ける企業の人事をしていた時に学んだことがベースになっています。
これから人事の仕事をする方は、心構えとして持っておいて欲しいことです。
私たちは近年の人材採用の経験から3つの大きな教訓を得ることができます。
目次
1.応募者は一律ではない
第一に応募者は一律ではありません。
そしてさらに、その一律ではない応募者をグルーピングすることが非常に難しくなっています。
多くの企業の採用で行われてきているのは、比較的単純な属性(年齢、性別、地域等)の違いに基づく応募者分類となっています。ところが、これまでは十分に機能したように見えた、このグルーピングが、実は次第に役立たなくなってきています。
応募者が一律でないことをわかっているだけでは十分ではありません。
実際に応募者を識別できなければ、有効な手は打てません。
応募者は一律ではない事を薄々知りつつ、採用活動は多くの場合、一律的な採用イベントを企画し、一律的な採用ガイドラインを策定し、一律的な採用活動を展開してきました。
価値観の多様化、ということが叫ばれて久しいですが、実際の企業の採用活動を見る限り、応募者がその多様性に応じて異なる扱いを受けている例は驚くほど少ない。
応募者はその結果、「興味を持った」にはなりえても「この会社に入社する」にはなかなかならないのです。
また、表面上の数では多数派を占める入社予備軍の陰に、沈黙を守る中間層・不満層が大量に生み出されているのが現実でしょう。
では、企業はこれらの応募者に文字通り個別に対応すればよいのでしょうか。
それは違います。
2.応募者には入社すべき人材と入社すべきではない人材がいる
採用活動からの第二の教訓は、応募者には入社すべき人材と入社すべきではない人材がいるということです。応募者ごとのone to oneの対応というのは聞こえが良いですが、採用できない採用してはいけない応募者にまで手厚く対応していては、採用が成功するはずがありません。
口うるさくて採用できないような応募者ほど丁重に扱われていたりするものです。その一方で採用すべき人材は人知れず、特に文句を言う事も無くその企業から去っていきます。
クライアントのニーズが多様である事を理解し異なる対応をしようとしている企業でも、こと採用すべき人の採用に関してはまったく応募者が見えてない場合が多いのです。
人事の仕事をするとわかりますが、採用すべき人材は、採用すべきでない人材よりもはるかに少数です。その流出によるコストや収益へのダメージへの甚大さは想像に難くありません。
では、実際に入社してパフォーマンスを発揮する人間の観点も含めて応募者がよく見えていればすべて解決するのか?
それだけでは成り立ちません。
3.基礎体力としての採用力は必要不可欠
第三に、応募者ごとの異なる扱いの実現には高い採用能力が必要とされます。
採用すべき人材と採用すべきでない人材を的確に識別し、それぞれのニーズも分析し尽くした企業でも、その応募者理解を具体的なアクション、機能に翻訳するところで躓いてしまいます。
人によって異なる選考を導入しようとして、応募者から差別的だと非難の集中砲火にあう企業。コストの安いチャネルとして流行りのインターネットやソーシャルメディアを導入したものの、押し寄せる質問やエントリーに対応できずに結局人海戦術に追い込まれ、コスト増を甘受している企業。
応募者を見る能力は大前提として必要ですが、そこで止まってしまっていては何も見えていない企業と同じ、あるいはかえって悪い状況にすらなるのです。